『酒は飲んでも飲まれるな/アロイスとエーファとジルヴェスターの場合』

avengeサイドストーリー


「……うあ……」
 カーテン越しに朝の光が差し込む薄暗い部屋の中、上半身を起こして周囲を見回し、アロイスは愕然と頭を抱えた。
(……いや、本当だ、嘘じゃない、彼女のことは確かに前から『ちょっといいな』って思ってたんだ……間違いない、神にだって誓える……いや、しかしこれは……)
 腰から下を覆うシーツ以外、彼は何も纏っていない。そしてそれは、隣に眠る彼女も同じだった。
 両手で顔を押さえるものの、そんなことで現実が否定できるわけもない。指の隙間からもう一度確認する。……これはどうやら、完全に。
(……何を言っても何の説得力もない……!)
 既に否応なく平常に戻った頭脳が、自分が何をしたのかを克明に思い出していく。うおおおおお、と呻いてアロイスは再びベッドに転がった。

 ついに神学校を出たジルヴェスターが十年近くぶりに町に戻ってきたのは、昨日の午前中のことだった。あらかじめその予定を耳にしていたアロイスとエーファ、その他都合のついた町の若者たちはその晩、町で一番大きな宿屋の一階の酒場を借り切って、酒宴を開いたのだ。
 久しぶりに仲間たちと再会したジルヴェスターは最初のうち、飲み物にも料理にも手をつけることはなく、金縁の眼鏡越しにひどく落ち着かなげで神経質な視線を周囲に向けていたが、やがてその表情が少しずつ緩み、微笑むようになって、宴会の半ば頃には心から安心したような表情を見せるようになっていた。酒は飲んだことがないからと固辞していたが、雰囲気だけで十分に酩酊しているように見えた。席を移動していったアロイスが隣に座ると、ジルヴェスターは寄宿学校や神学校での話を引きも切らずに語った。それは傍から見れば自慢話ばかりのように見えただろうが、自分と共にいなかった間に起こった様々なことを、彼はどうしても自分に話して聞かせたかっただけなのだ、とアロイスにはわかっていた。
 その途中、自分の茶と間違えて一つ隣のグラスを手に取って中身を一口飲み、ジルヴェスターはひどく不思議そうな顔をした。
「……?」
 あれはゲオルクの分のウイスキーだったような、とアロイスは思ったが、ジルヴェスターは一口飲み下してしまった後、納得いかないような顔をしたままちろちろと舌を出してそれを舐めていた。
「……ジル、もしかして案外いける口か?」
「……さあ……?」
 困惑したような表情で答えていた彼だが、やがてグラスをテーブルに置くと、ひどく眠そうに瞼を閉じかけて、ぐらり、ぐらりと頭を揺らし始めた。
「……うわ、おい。水だ、誰か水持ってきてくれ」
「はーい」
 それに応えて、エーファが水差しを持って駆け寄ってきた。
「あら。……ジル君、飲んじゃったの? 絶対に注ぐなって言ってたのに」
「どうも隣のグラスと間違えたらしい。大丈夫だとは思うんだけどな……」
 頬を軽く叩いて目を開けさせ、少しでも水を飲ませておくことにする。すがりつくようにしてやっと二口か三口水を口にした後、ジルヴェスターはアロイスの胸に身を預けて完全に寝入ってしまった。
 エーファと顔を見合わせる。主役が眠ってしまったわけだが、若者たちの大半はまだ大いに盛り上がっていて、解散を言い出せる雰囲気ではなかった。
「……あー……まあ、いいか……」
 ひとまずジルヴェスターを横になれる場所に寝かせ、アロイスは席に戻る。少し頬を紅潮させたエーファが手酌でワインを注ごうとするのを、隣から手を伸ばしてボトルを取り、注いでやった。じゃあお返し、と彼女が笑ってアロイスのグラスに注ぎ返してくる。
「エーファは楽しそうに酒を飲むんだな。可愛いな」
「えへへへ、実は十二歳ぐらいからお父さんと晩酌してるのー」
「十二……うん、いや、それはちょっと早くないか……?」
「だって美味しいんだもの! 一度覚えちゃったら『大人になるまで我慢しなさい』って言われたってできないわ!」
 くすくす笑う彼女に少し呆れつつも、ああ、本当に可愛いな、と思う。二つ年下の彼女のことは、家が近かったので幼い頃から知っていた。当然彼女の父親のことも知っているのだが、彼がそんなに飲む方だと思っていなかったので意外だった。
 彼女はやがて、緩く巻いた栗色の癖毛をくるくると指先に巻き付けて遊び始める。
「みんな盛り上がってるね。ジル君が寝ちゃっててもどうでもいいみたい」
「まあそういう奴もいるだろうな。ジルは少し人から理解されにくい奴だし、今日も最初は馴染めなさそうにしてたから」
 でもみんな、なんだかんだ言ってもきっとジルが戻ってきて嬉しいんだと思うぜ、とアロイスは苦笑した。空になったグラスに、エーファが横からワインを注ぎ足す。
「……そうよね。ジル君もだんだん楽しそうになってきてたし。ああでも、そうすると、寝ちゃったのはちょっと勿体ないのかな」
「まあ大丈夫だよ、今日はただの再会パーティーでしかない。これからはジルもずっとこの町にいるんだ。これっきりってわけじゃないさ」
「それもそっか。だったら安心ね」
 エーファは自分もグラスを空にし、ワインを注ぎ、それで空になったボトルを遠くに押しやって、まだ中身の残っているボトルを引き寄せる。
「ジル君は教会に住むのかしら」
「そう聞いてる。……でもあそこ、あんまり住むのに向いてる気がしないよな」
「そうね、天井も高いし冬が寒そうよね……」
「……まあ、聖堂に住むわけじゃないとは思うけどな……」
 言いながら空けたグラスに、また上までなみなみと注ぎ足される。ふと頭の中で微かに警報が鳴った気がしたが、まだたいして飲んでないから大丈夫だ、と否定した。……後から思えばその時点で既にだいぶ酒量計算を間違えていたのだが、そのときはまるで気づかなかった。
「ジルは寄宿学校は飛び級したんだそうだ。確かに二十歳で戻ってこれるって、だいぶ早いよな」
「ああ、そうなんだ。ジル君頭よかったもんね」
 エーファは言うとカウンターの奥に声をかけ、次のボトルを要求する。
「その分、色々と苦労もしたみたいだけどな。あれだけ目が悪くて、年が若いから体格で負けてるとなると、何かといじめられたりしたらしい。やむを得ず護身術を覚えたそうだ」
「ジル君、優男だもんね。ただでも見くびられたりしそうだから……」
 後ろのスペースですやすやと寝息を立てているジルヴェスターを振り返った。子供のような安心しきった寝顔に、思わず二人で忍び笑いを漏らす。大丈夫なのかい、と言いながら届けられた新しいボトルを開けて、エーファは二人のグラスにそれぞれ一杯ずつ注いだ。彼女はここに腰を据えて飲む気でいるようだ、とアロイスは思う。もしかすると自分が無理に付き合わせてしまっているのではないか、と気になった。
「……エーファはあっちに混ざりに行かないでいいのか?」
 少し離れたテーブルの周り、踊り出しかねないぐらい盛り上がっている仲間たちの方を指す。するとエーファは、アロイスの顔を見上げた。
「あなたが嫌じゃなければ、あなたと飲んでる方が楽しいわ」
 彼女はにっこりと、少し八重歯を見せて笑った。

 ……その彼女の笑顔を見て、急に猛烈な愛しさが込み上げてきたのを感じたところまでは、はっきり覚えている。が、それが結局この事態に至った経緯の細かいところは、と言うと。
(いや、困ったことに全部覚えてるな……!)
 いっそ忘れていたかったぐらい恥ずかしい口説き文句を連発した覚えがあった。やがて二人の間ではすっかりそういう話になってしまい、それでも何とか全員が潰れる前には宴会を閉会して、ジルヴェスターをアロイスが背負って教会まで送ってから、一人暮らしのアロイスの自宅に二人して転がり込んだのだった。
 ……そしてそれから、夜明け近くまでずっと。
 唸りながら頭を抱える。
(た、確かに好きではあったが……まだ……まだここまでのことになるつもりはなかった……!)
 エーファはまだ十八で、この辺りの基準で言うと成人したばかりだ。それに加えて、自分の他にも彼女のことを想っている者がいたのを知っていた。そちらと問題が起きないように慎重に進めよう、と、そう思っていたはずだったのに。
 煩悶するアロイスの声が耳に入ったか、エーファが小さく声を上げ、寝返りを打った。背中に押し当てられる、温かく柔らかい彼女の感触と熱。
「……っ」
 ああ。……ただそれだけで、こんなにも愛おしい。
 これはもう覚悟を決めざるを得ない、と悟った。できるだけ自分の周りには波風を立てないように生きてきたつもりだったが、ここはもう仕方がない局面だ。
 もぞもぞと向きを変え、エーファを抱きしめる。うっすらと目を開けた彼女に口づけた。
「……聞こえるか? エーファ」
「……ん……」
 吐息のような声を漏らして、いつも笑っているような彼女がやっと目を開ける。目と目を合わせて、低い声で、アロイスは囁いた。
「……こんなことになってから言って、本当にすまない。……エーファ、好きだ。愛してる。……結婚しよう」
「……えへへ」
 彼女は微笑んで、頷いた。
「ありがとう、アロイス。嬉しい。……ずっと、一緒にいようね」

 ……それで終わっていれば割合、話は綺麗だったと言えないこともなかった、が。
「……あの、だな、アロイス。わたしもこんなことは全く聞きたくないのだが、昨晩、わたしに何かしたか……?」
 午後になって、ジルヴェスターの様子を見にアロイスが教会に行ったところ、出迎えた彼はアロイスを部屋に招き入れて座らせると、だいぶ蒼白な顔でそう質問してきた。
「……何か、って何だ」
 もしかしてまだ体調が悪いのか、濃い酒だったとは言え一口ちょっとしか摂取していないはずだがそこまで弱い体質だったのか、と心配になったが。
「……」
 ジルヴェスターは自分から質問しておきながら、目を逸らして黙り込んだ。仕方なくアロイスは経緯をまとめ、答える。
「……パーティーの途中でお前が間違って酒飲んで、お開きにしてもまだよく寝てたから、ここまで連れてきてメイド長さんに預けただけだ。それ以上のことは何も」
「……そうか、それならよかった」
 だが言葉とは裏腹に、ジルヴェスターは重たい息を吐き、頭を抱える。
「どうしたんだジル、何かあったのか……?」
「……わたしにあんなことを口に出せというのか!」
「いや待て、そこまで言うってどんなことだ!?」
「……………………」
 苦虫を噛み潰したような顔でジルヴェスターがまた黙り込む。やがてぼそぼそと、聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。
「……い、未だかつて経験のないほど……淫らな夢を見た……」
 それがまるで、本当に苦しい罪を告白するかのようだったので。
「……そ……それは大変だったな……」
 アロイスは思わず頷いて、ジルヴェスターの頭を撫でた。
 ……いやしかし、それで自分に『何かしたか』と問うというのはどういうことか、というと……それはつまり、そういうことだ。
 それはなるほど確かに、潔癖なジルヴェスターにとっては実際、本当に苦しい罪だったのかもしれなかった。そう思い、改めて否定してやることにする。
「……いや本当に何もしてないぞ? 昨日俺が酔った勢いで寝た相手はエーファであってお前じゃないぞ?」
「……」
 ジルヴェスターはそれでもしばらく俯いていたが、やがてはっとした顔でアロイスを睨め上げた。眼鏡の奥の目が真剣だ。
「……アロイス、今、このわたしの前で堂々と婚前交渉を宣言したか?」
「あ」
 言われてみれば、それはそういう意味なのだった。アロイスは慌てて手を振った。
「いやいやいやいや待ってくれ待ってくれ。俺も最初はそういうつもりじゃなかったんだがとりあえずそこの話はまとまった、明日エーファのご両親に挨拶に行くから見逃してくれ」
「……」
 ジルヴェスターはしばらく、盛大に眉を顰めていたが。
「……そうか、おめでとう」
 言うと、顔を歪めたまま自分で眉間を揉みほぐした。その姿を見ていて、今朝目覚めた瞬間の自分の後悔をありありと思い出す。アロイスは自分もテーブルに両肘をついて、額を押さえた。
「……なあジル、俺も今回は本当に心から反省したから言うが……俺たちはもう二度と酒を飲むべきじゃないと思わないか……」
「……心から同意する……あんな夢、二度と見たくない……」
 男二人で頭を抱えてテーブルに突っ伏す。
 しみじみと、酒で羽目を外すというのは恐ろしいものだと思った。












<後書き>
【注意】
これはセルフ二次創作であって、本編と同等のものではありません。
この一編に関しては若干同性愛要素があるっちゃありますが、掛け算の方向は本編を読んだ人が好きにすればいいし、そういうの苦手ですっていう人はそういうことは一切ないと思っていてくれればいい、と思います。

実はavengeの途中で既に書き上がっていた一編です。
このあたりで私は「……ジルヴェスター、萌えキャラでは?」ということに気づいた、んだった気がする。
homecomingの後まで出さずにおこうかと思ったんだけど、homecomingが全然書き上がらないのでひっそり載せてしまうことになりました。
実はこの話の時点で、既にひとつ致命的なすれ違いが起こっていますが、まあそれは後日また。

ジルヴェスターはこの後おおかた二十年ぐらいは自分からは酒を口にしませんが、死ぬまで一切飲まないわけではない、と思います。
それは「あの夜に彼が見た夢が本当はどんなものだったのか、彼は本当はそれをどう感じていたのか」という話ですが……まあ、ご想像にお任せします。

skne03 拝。