avenge
10-1.
黒々と重く炎は猛る。焦がし、燃やし、焼き尽くす。
心が灰になるより前に、この手はどこかに届くだろうか。
◆
「……ヤン? ヤン、どうしたんだね」
「……んぁ?」
神父に肩を揺すぶられて、ヤンははっと目を覚ました。驚いて周囲を見回す。ここ数日どんどん目が霞んできてよく見えないのだが、使用人区画の廊下のようだ。
「今、君に今日頼むことの話をしていたのだが……。立ったまま眠っていたのか?」
「……っあ、す、すみません! 聞いてませんでした!」
慌てて頭を振り、意識を何とか覚醒させる。神父は苦笑した。
「毎日子供たちと遊んでくれているからかな。あまり疲れるようならたまには休んでもいいと思うが」
「……いや、そんなことは……」
自分でも首をかしげる。どうしてこんなに眠いのだろう。確かに気温は低いのだが、別に自分は寒いだけで休眠状態に入ったりはしないはずだ。神父は気がかりそうに首をかしげたが、やがて茶色い油紙のようなもので包んだ荷物を差し出した。
「まあいい。……それで、今日は届け物をしてほしい。自警団長ラルフにこれを。西寄りの広場沿いの家の一軒だ」
「……はい」
ヤンは頷いて包みを受け取る。目を幾度も瞬いていたせいか、神父が顔を覗き込んできた。
「……本当に大丈夫かな? 途中で居眠りなどされても困るのだが」
「いや、それはさすがに。……大丈夫です、行けます」
もう一度頷いてみせる。
「それでは頼むが……今日は戻ったらもう休みなさい。具合の悪い者を働かせるのはかわいそうだ」
「……ありがとうございます」
神父はまだ心配そうにしていたが、やがて銀色の懐中時計で時間を確認すると、足早に歩み去った。ヤンは大きく息を吐く。
本当にひどく眠い。このところ、食事もろくに取らずに眠ってしまう。夕方帰って汗を流してからずっと寝ているのだから朝には目が覚めていていいはずなのに、それでもまだ眠かった。
(……なんか、俺、どっかおかしいのかな)
帆布の鞄を取って、預かった包みを入れた。少し長くて入らないので斜めにする。鞄を肩から掛けた。
ひどくぼんやりした気持ちで歩き出した。任された仕事はしなければ。子供たちには悪いが、言われたとおり今日は帰ったら眠ろうと思う。
(……広場……と)
以前に与えられた町の簡単な地図を開き、場所を確認する。ここからだとエーミールの家の方であり、市場の方であり、森の方だ。
(……エーミールの家の近くの、噴水のある広場、かな?)
あちらの方に行くのは久しぶりだったが、エーミールの家のある方だと思えば特に何も考えずともたどり着けそうだ。
……ここしばらく、エーミールとは出会えていない。今日で三日目になるだろうか。正確に言えばまったく見かけていないわけでもないのだが、姿を見るといつもひどく忙しそうにしていて、声をかけられなかった。
話がしたいな、と思う。どうしようもなく。本当に死にかけたときのことを思えばこれは死ぬような体調不良ではないとは思うが、どんどん自分というものが心許なくなってきて、既に自分を知っているはずのその手に頼りたくなっていた。
そんなことを考えながらぼんやり歩いていくと、徐々に見慣れた町並みに近づいてきた。人の少ない家々。もうエーミールの家も、たくさんの空き家の一軒になってしまった。
広場に入ると、どうやら来たばかりの商人たちとその客が今日もたむろしている。表札を眺めて目的の家を探し当て、左脇に荷物を抱えて、右手でノックをした。
……返事がない。
ぼうっとしていて聞き逃したかと思い、もう一度ノックを試みる。やはり答えはない。
「……ラルフさーん?」
声をかけてみるがやはり静かなままだ。ドアを引いてみると、あっさり開いた。
「……? ラルフさん、いませんかー、ラルフさーん。届け物ですよー」
玄関から一歩踏み込んで、呼びかけてみる。
鉱山が栄えていた時代にたくさん作られた住宅なのか、エーミールの家と間取りが似ていた。正面に廊下と階段、暗がりになった廊下奥の左側にドアノブが見える。恐らく今いる場所のすぐ横、玄関からほど近い左のドアの先がリビングだ。
こちらも一応ノックをしてみる。返事はないが、玄関の鍵が開いているのだから中にいるかもしれないと思い、そっと引き開ける。
「ラルフさ……」
……その途端、室内の空気が触感を伴って包み込んできたような気がした。
鉄錆めいたむっとする異臭に、突然意識が覚醒する。足元でぱちりと音がして、急に周囲がはっきり見えた。
無残な『それ』を視認したヤンは悲鳴を上げようとして、
「っ!」
その瞬間に後頭部に衝撃を受けてよろめいた。的確に脳を揺らされて意識が遠のく。その上音もなく後ろから伸びてきた腕が、素早く首の血管を締め上げた。
(な、ん──……)
……意識を保てたのはほんの数秒だった。
ヤンはその場に崩れ落ちた。