avenge

12-6.


 ──ここで今ひとたび、時間はあの夜に遡る。
「……ところで」
「うん? 何?」
 少しずつ、夜が白み始めていた。まだ日が昇るまでには少し時間がありそうだが、朝はもう遠くはない。
 ヤンとエーミールの二人は町を東に抜け、既に街道に出ていた。歩きながらヤンは腕を組み、首をかしげる。
「人狼は結局誰だったんだ……?」
「え」
 エーミールは変な顔をした。
「……え、いたの? 人狼。何だか変な話になってるとは思ったけど」
「いた……んだと、思う。ラルフさんは最初に見たとき椅子に座って、ほとんど五体満足で亡くなってたのに、次に見たら床にひっくり返ってた。腕もなかったし内臓も足りなかった、多分。……俺あんまりちゃんと見てないけど!」
 思い出して口元を押さえるヤンに、エーミールは苦笑した。
「そうなんだね。ヤンがそう言うなら、いたのかもしれない」
「……ああ、いたんだ、多分。それで俺を捕まえてたルドルフのおっさんがびっくりして手ぇ離してさ、だから俺は逃げてこられたんだから」
「ああ……そうだったんだ、そうするとそれはすごい大恩人だね。ふうん……」
 エーミールは呟くと、両手の指先を合わせた。
「何十年も出てなかったらしいのに。本当にいたんだね、そんなものが。それじゃ、鉢合わせなくてよかったかな」
 屈託なく笑うその横顔を見て、ヤンはふと思い出した。
「……そういえば俺、お前が人狼かもしれないと思ったことはあったぞ。本当にいるなら森になんか出るはずがない、って聞いたとき」
「え、僕が? 冗談じゃない、もし僕が人狼だったらこんな悠長な復讐なんかしないで、さっさとあいつを食い殺してたよ」
 ぱたぱたと手を振って否定しながらエーミールは苦笑する。少し考えて、続けた。
「……ああ、『そんな風に人を食い物にするモノがもしいるなら、それは森の中じゃなくて人の群れの中に決まってる』だっけ。それは実際にそうだとは思うけど、誰かのことを考えて言ったわけじゃなかったと思うよ。人を食い物にするモノ、って言ったときは、少しあいつのことを考えてたかもしれないけど」
「……そうか、まあそうだよな」
 ヤンは頷いて、また次に湧いてきた疑問を口にする。
「……ところでそれ、お前、もしかして、話したこと全部覚えてるのか……?」
「──んー、全部じゃない。でも、大体要点は押さえてるかな。ああいう状況だから不用意なことが言えなかったせいで、すっかりそういう癖がついちゃった。もう何にも考えないで話してもいいんだ、と思うとほっとするね」
 あはは、と笑って、エーミールは地図を確認する。
「あ、多分次の町がもうすぐ見えてくるよ。着いたら朝ご飯にしよう」

 その、少し後。
 夜が明けつつあることに気づいて、アントンは眠い目をこすりながら起き出した。
 あの後ふと我に返って荷物をまとめ、日が暮れてすぐ出発し、西の森をまっすぐ抜けてきた。街道から外れる方に向かったせいでまだ人里に着かない。ただ自前の毛皮が優秀なので、そうなってしまえば冬の夜でもそれほどつらい思いをせずに眠れた。
 鞄の中に入れていた『お弁当』は冷え切っていたが、凍ってはいなかった。大事に少しずつ端から囓りながら、飛び出してきたあの町のことを思い出す。
(……結局三人目、現れなかったなあ)
 最後まで出会えなかった『もう一人』のことを思う。
 人狼の身体能力はそもそも人間を凌駕するが、仲間を得ると更にその能力が乗算的に強化されるという特徴があった。ただそれにもまた別の限界があって、大抵の場合彼らは、四人以上集まることはできない。どういうわけか三人集まった辺りで、人間たちに気配を察知されてしまうようになっているのだ。
 ただ三人集いさえすれば、彼らは自由に狩りができた。毎晩のように獲物を手に入れ、食事をすることが可能になる。だからずっと仲間を探していた。あの頃ほんの一瞬三人が場に揃ったような気がしたが、あっという間にフランツが欠けてまた二人に戻ってしまった。
 あの町にいた人狼はアントンとフランツ。そしてもう一人、まだ見ぬ他の誰かが、つい最近までどこかにいたはずだった──
(……フランツもあれは可哀想だったなあ。誰だか知らないけど何でまた聖別された銀の弾丸なんかで撃ったんだよ、そんなの冗談でも人間っぽいもの相手に向けるもんじゃないだろ)
 あのとき。
 ジルヴェスターとアロイスが決裂したのを察知したフランツはその隙につけ込み、アロイスを殺害していい、という指示をジルヴェスターから引き出した。長いこと、美味しそうだ美味しそうだ食べたい食べたい、と二人が揃って狙っていた獲物だった。それが何故なのかはうまく説明できない。ただ無性に惹かれるものがあったのだ。
 本来の姿で狩りをできる段階になかったため、人の姿のまま森の中でアロイスを殺害したフランツは、呼び声を上げてアントンをその場所に招いた。柔らかく落ち葉が積もり窪んだ地面の上、まだ二人は、ようやく転がり込んできた貴重な『それ』の一部を密やかに分け合った。身元がわからなくなると困るから、と顔はあまり傷つけないことにして、主にそれぞれ好みの『中身』を口にした。この上ない御馳走だったが、人の身体のままではあまり多くを食べられなかった。
 ああ勿体ないとは思いつつも、『残り』は鉱山沿いの高めの段差から捨てた。彼が自ら転落し、単なる狼に食い荒らされたように見えるように気をつけて。
 そしてそのあとフランツは、これをネタにジルヴェスターを強請るのだ、とにやにや笑っていた、が。
 恐ろしいことにその彼の方が、そう言った数日後にはもう冷たくなっていた。
 検死に呼ばれたので調べたら、右眼窩を通った銀の弾丸が脳に深々と食い込んでいた。人間としても人狼としても即死だった。もちろん彼の死体の傍らに落ちていた猟銃とは縁のない拳銃の弾だったが、あんなもの一体誰が撃ったのやら。
(……まあジル君か、そこから手に入れた他の誰かか、だよねえ……)
 多分、本来は撃つ目的で所持しているのではない、お守りのような銃だったのではないかと思う。だからきっと、おまじないのような銀の弾丸が込められていたのだ。そんなことで死んでしまったフランツの、なんと不運なことか。
 彼から摘出した弾丸はアントンが密かに始末した。そこから足がついてフランツが人狼だとわかったら困るからだ。
 ……が、仲間を一人亡くしたせいでもう完全に縮み上がってしまって、アントンはそれ以来ずっと人狼としての食事を我慢してきた。その代わり人間としての食事にはより一層力を入れてはいたのだが、しかし、そのふたつで満たされる欲は、それぞれ根本的に全く違うのだ。それでとうとう、ラルフのときは我慢できずに現場に忍び込んでしまった。あのとき路地裏ですれ違ったルドルフが、あまりにも素敵な香りをさせていたからいけなかった。
(ああ、彼が撃ったって目もあるか……何にせよ、ぼくまで撃たれずに済んでよかった)
 ……人狼はその性質上、生まれ育った故郷からは離れることが多い。二度、三度と住む町を替えることも少なくなく、それと同時に仲間の顔ぶれもよく入れ替わる。自然、相互の関係は割合ドライなものになった。
(そういえばラルフの家にも、人間じゃない子が転がってたっけな。……なーんでそれなのに三人目は見つからなかったかなあー……ああ、お腹空いた……)
 とはいえ今まさに食べ物を口に入れているわけだが、そろそろ囓り終わってしまう。未練がましく口の中で転がした。
 ……本当に、三人目は誰だったのだろう。
 ずっとその存在を感じてはいたものの、やたらと気配が弱くて結局見つけられなかった。その『三人目』はまだ自分が人狼であることに気づいていないか、あるいはひどく弱っているように思えた。
 そして近頃は、その気配すらも見失ってしまった。覚醒しないままどこかよそに行ったか、あるいは死んだか。それも時折あることらしかった。もっとも、自分が人狼であると知らないまま死期を迎える人間の数など、結局のところ確かめようもないのだが。
 もはやあの町に留まっても実りはなさそうだ、と感じた。若い人間も多くないので、獲物選びという観点でもあまり魅力はなかった。何より今回の件で、自分のことがばれてしまわないとも限らない。早めに離れるに越したことはなかった。
 ……最後の最後に未練がましく、一度遠吠えをしてはみたが、それに対する応えも、残念ながらどこからも聞こえては来なかった。
(次の町か村では仲間に会えるといいなあ)
 呑気に希望を抱きながら、アントンは人の姿に戻り、次の場所に行くために立ち上がる。

 ◇

 ──かくて来たるべきもののすべては来たり、去るべきもののすべては去った。
 そして物語の幕は閉じ、静まりかえった舞台に最後の夜明けがやってきた。