avenge

6-2.


 食事を終え、二人で後片付けも終えて、ミントのハーブティーを淹れた上で元の席に着く。
 ヤンは手元のカップを両手で包んだ。すうすうする香りがするが手にはぬくもりが伝わってくる。なんとなくしがみつくような気持ちで握りしめ、少し呼吸が浅くなっているのを感じた。
「……さて」
 エーミールは一つ大きく深呼吸をした。声が少し、普段より低い。
「めんどくさいところは早めに片付けよう。……父さんが死んだのは三年前の冬。夜に森に出かけていって、何日か戻らなくて。捜索隊を出してもらって二日ぐらいだったかな、死んで見つかった」
 父さんが夜に出かけること自体は珍しくはなかったんだ、とエーミールは言う。
「夜明けから猟をすることがあったからね。でもそのときは、何となく雰囲気が違った気がする。これは行方不明になった後で思い出したことだけど、少し思い詰めたような顔をしてた」
「……」
 何も言えない。エーミールは遠くを見るようなまなざしをしていた。
「崖の下で見つかったって言ってた。僕たち……僕と母さんは、危ないからってここに留められていたから、父さんの死体はここまで運ばれてきた。僕は担架が到着するや否や、掛けられてた布をめくった」
 その口元が自嘲的に歪む。
「いなくなったその日のうちに狼に襲われて崖から落ちたんだろう、って言われたけど、僕はそんなはずないと思ってたし、早く自分の目で父さんの顔を見たかった。……そのときは冬で、腐敗は遅くて、でも獣たちは飢えている季節だった。柔らかいところは……」
「や、やめ」
 想像してしまい、耐えられなくなって思わず制止する。エーミールは薄く笑った。
「それは確かに父さんだった。目に焼き付いてる……今でも細かいところまで思い出せるよ、君が駄目そうだからやめとくけど。……とにかく、それは無残な姿で父さんは帰ってきた」
「ごめん、ごめんなさい、俺が悪かったからやめてくれ」
 カップを握る自分の両手は震えているのに、エーミールはゆったりと肘をついて目を瞑る。
「……だから、僕はきっと本当は、布をめくるべきじゃなかった。その無残な姿を、自分はともかく母さんに見せるべきじゃなかった。……母さんが倒れたのはそのときだよ。だからあれは僕のせいだとも言える。真っ青になって脈もなくなって、近くにお医者様がいなかったらきっと蘇生もしなかった」
「……そんなこと」
 否定しようとした声が途中で空に消える。……一体何が言えるというのだろう。
「……母さんはあんな風だけど、生きててくれてゆっくりでも話ができるだけでありがたいと思うよ。母さんがどう思ってるかはちょっとわからないけどね、あまりややこしいことは聞けないし。……父さんの葬儀は多分、誰か他の人が出してくれたはずだよ。今は教会の墓地で眠ってる。……まあ、それぐらいの話」
 そこで急に普段の声音に戻って、エーミールは笑う。
「なんで君が泣くの、もう全部過ぎたことだよ。そんなに怖かった?」
「……っ、違っ……」
 つらいことを思い出させておいて自分の方が泣くようなことではいけないと思ったが、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちていくのを感じた。手元に抱え込んだカップに波紋が広がる。あーあー、と苦笑しながら、エーミールは自分のカップを手に取ってお茶を啜った。
「さっきも言ったけど、後々まで聞かないで気にされてる方が嫌だなと僕は思うんだ。この家にいればいつかは疑問に思うことだろうし。……その後ろのドアが昔は父さんの部屋だったけど、今は空気を入れ換えるぐらいしか開けてない。僕が使えるようなものも別にないし」
 目の前で平気そうな顔をしているのを見ていると涙が更に溢れてきた。エーミールがあらら、という顔をする。
「……うーん、大丈夫? ちょっとショックだった?」
「っ……何でお前が俺の心配するんだよ、逆だろ……!」
 差し出されたハンカチに顔を埋める。エーミールがぽつぽつと呟くのだけが聞こえる。
「……うん、でも、今更、かなあ。後悔も絶望も、何回も反芻したから。幸い、やらなきゃいけないことはいくらでもあったから、気を紛らわすのは楽だったし」
「ううううう……!」
 自分は何をしているのだろう、と思う。昼間のうちは、深入りしない方がエーミールのためなのだろうかなどと思っていたような気がするのに。しばらくそのまま突っ伏していると、二度ほど、そっと撫でられた。
「……そろそろ顔上げてよ、僕は本当に大丈夫だから」
 肩をとんとん、と叩かれる。やっとの思いで身を起こすと、エーミールが苦笑していた。
「こんな話をしておいて何だけど、同情はしてくれなくていいよ。君にそういう目で見られたくはない。そんなのは町の人たちだけで十分だ。……でもそうだな、それでも僕も時々は落ち込むこともあるし、弱音を吐きたくなるときもある。そういうとき、ただ側にいてくれたら……そうしてくれたら、少しは楽かもしれない。お願い、できるかな」
息が詰まったが、必死で頷いて声を絞り出した。
「……っ……もちろんだ……!」
 エーミールはほっとしたように表情を緩める。
「よかった」
 その顔を見ていたら、また涙が込み上げてきた。
「……あー、どうしよう、大丈夫? 明日のこともあるから僕はそろそろ寝るけど、君、今夜一人で寝られる?」
「……子供扱いすんな!」
 そうは言っても涙はちっとも止まらなくて、我ながら何の説得力もない、と思わざるを得なかった。