avenge
6-3.
鎧戸の隙間から外の光が細く差し込んでくる。ヤンは力なく呻いて、日光から逃げるように頭を抱えて丸くなった。
……与えられた部屋には上がってきたものの、結局一睡もできなかった。考えるたびに泣きそうになって、何度かは本当に泣いて、加えて寝不足の目は、開けたくないほど腫れていた。
階下から軽やかな足音と玄関の開閉音が聞こえてきた。恐らくエーミールが教会に出かけていったのだろう。今日は森の様子を確かめには来なかったな、と思うと、安堵と同時にまた涙が込み上げてきた。
「……ぐ、ううううう……ぁぁぁぁっ……」
卵の中にいたときのように小さく丸くなって、本当に泣き出してしまうのを堪える。自分が泣いていいところではない。泣きたかったのはきっと、父親を亡くした当時のエーミールの方だったはずなのに。
もし自分の身に同じことが起こったのだったら、きっと何年経ってもあんな風には話せないだろう。エーミールもいつもとは様子が違った。平気なはずなどないのに、どうして自分の心配なんて。
その当時はまだ健在だったであろう母親とふたりで父の帰りを待っている、今よりも幼いエーミールが目に浮かぶようだった。暖炉の前で寄り添いあって、心細そうにしているそっくりな母子。そこに運ばれてくる布のかかった担架、エーミールは駆け寄るとその布をめくり、目を見開く彼の背後から絶叫が上がる……
「……っ!」
声にならない悲鳴を上げて空想を振り払おうとする。あまりにも鮮烈に痛みが想像できて耐えられない。
そんな目に遭ったのなら、しかもそんな状況下で急に大人になることを強いられたのなら。その日々は戦い以外の何物でもないし、あのとき見せた夢と現実の境目を失うような様子も、何ら不思議なことでもなかった。
薄い布団を頭から被って嗚咽する。
……しばらくしてふと気づくと、布団で作った壁の向こうが明るくなっていた。
「ヤン、まだ寝てるの? 悪いけど洗濯物干すから、開けたよー」
至って普通のエーミールの声が聞こえてくる。あのあと少し眠ってしまったらしい、と気づいて慌てて布団をはねのけると、振り返ったエーミールが、うわ、と声を上げた。
「ちょっと、何その顔。……って、え、まさか、……泣いてた?」
答えようとして息が詰まった。体を丸めるが、また目頭が熱い。エーミールはわずかな洗濯物を窓際に置くと、小走りに駆け寄ってきた。
「……ごめん、そんなにショック受けてたなんて。昨日は僕の言い方が悪趣味だったよね、悪かったよ」
子供にするように目線の高さを合わせ、エーミールがそっとヤンの手を取る。
「……違、う……」
泣き声にならないよう押し殺して、ヤンはやっとそれだけを呟く。
「……違う? なにが?」
本気でわからないというように、エーミールが首をかしげた。しばらく何も言えず、無理矢理開いた口がわななく。エーミールが待っていてくれるので、必死に何とか言葉にした。
「……どんなに、泣きたかっただろうって……今のお前は、平気な顔、して言うけど、そのときどんなに、泣きたかったんだろうって思、っ」
「……!」
またこぼれてしまった涙に、エーミールが息を呑む。ハンカチを出してヤンの顔を拭おうとし、あまりに腫れ上がった瞼にためらって手を止めた。
「……そうか。……うん、どうだろうな……もうよく覚えてないんだけど……」
「ううう……」
ヤンは膝を抱え、顔を埋める。
「あ、や、もうこれ以上目こすらないで、痛そう……」
エーミールが慌てたように言う。違う、そこじゃないだろう、と思う。ますます小さく身体を丸める。真っ暗な視界。エーミールがひとつ、大きな息をつくのが聞こえる。言葉を探すらしき少しの間。
「……そうだね、きっと、ヤンが正しい。そのとき、多分僕は泣きたかったんだろうと思う。そんな余裕はなかったし、本当はどうだったかはもうわからないけど」
声はあくまで穏やかだった。
「正直に言うけど……昔の僕のことを、そんなに自分のことみたいに悲しんでくれると思ってなかった。ヤンは優しい、いい人だね」
また頭を撫でられる。もうすっかり子供扱いだが抵抗する気にもならない。これ以上の涙を堪えるだけで精一杯だ。
「ううん、なんて言ったらいいのかな……うん、そんな風に一緒に泣いてくれる人がいるってわかったら、きっと昔の僕も救われたと思うんだ。……だから大丈夫、あれは今からはもうどうしようもないことだけど、今の僕が君の気持ち、ちゃんと受け取ったから。だからもう泣き止んで、目が開かなくなっちゃうよ」
「……っ……」
嗚咽しそうになって我慢する。少しして何とか顔を上げると、エーミールはヤンの顔を見て、若干引き気味に苦笑した。
「……うわー、かわいそうな顔……ちょっと濡れタオル持ってくるけど、待てるよね?」
ぽんぽん、とヤンの両肩を軽く叩いて、エーミールが階段を駆け下りていく。ヤンはその背をぼうっとした視界で追った。
……そんな風に笑ってほしかったわけではなかった。ならばどうしてほしかったのかといえば、それはよくわからなかったが。何かに手が届かないまま離れてしまった気がして悲しかった。
けれどこれでもまだ泣いていたら、きっともっと困らせてしまう。やっとのことで気力を奮い起こして、ぐっと奥歯を噛みしめた。
濡れタオルを当てていても目の腫れはほとんど丸一日引かなかった。視界が狭まってほとんど何もできず、ヤンはリビングの長椅子で丸くなって過ごしていた。周囲でエーミールが立ち働いているので申し訳なくて仕方なかったが、「そんな顔じゃ見てる僕が痛いから今日は休んでて」と言われればどうしようもない。言うまでもなくエーミールの母親に会うわけにもいかず、ほぼ徹夜の眠気に任せてうとうとしていた。
夕食には、ヤンが前日獲ってきた鳩を炭火で焼いたものが出た。エーミールは目を輝かせて、骨のついたままの肉片を口に運んでいた。少しだけ、救われた気分になった。