avenge
7-3.
……さて、一体何をするべきか。
何かが起こっているのは確実だった。エーミールを起こさないようにそっと毛布を掛けてやり、ヤンは思案する。まずは、先程思いついた説が正しいのかどうかを考えてみるべきだろう。
キッチン横の父親の部屋のドアを音を立てないよう開け、エーミールが処方箋をしまっていた覚えのある引き出しを開けてみたが、それらしい紙片は見つからなかった。つまりあの処方箋は既に使った、ということだ。
指を折って数えてみる。
アントンに薬を処方されたのが二週間と二日前。それからケヴィンが来るまで三日。
エーミールがケヴィンに処方箋を渡し薬を受け取ったのは、ケヴィンが滞在していたそれ以降の数日間──今日エーミールがケヴィンではない商人に声をかけていたのは、恐らく既にケヴィンが不在だからだろう。
そしてエーミールの母親が体調を崩してから、大体今日で一週間。
移動商人が予定通りのタイミングで来ないことも想定し、エーミールが何日分かの薬を余らせていたとすれば、やはり今回購入した薬を飲み始めたことで体調がおかしくなったのだろう、とおおよそ確信できる。
──となると、あと確認しなければならないのは。
足音を立てないよう気をつけてリビングを横切る。廊下を歩いて、左手のドアをそっと開けた。しばらくぶりに見るエーミールの母親エーファは、浅く短い呼吸を繰り返しながら目を瞑っていた。
「入るよ。……おばさん、起きてるか?」
声を低く抑えながら囁くと、彼女の瞼が半ばほどまでゆっくりと上がる。
「おばさんも大変なときにごめんな。エーミールがつらそうなんだ。今はリビングで寝てる。……今、何が起こってる? この間から飲んでるおばさんの薬がなにかおかしかった、ってことでいいのか?」
エーファはヤンを見上げると、一度目線を下げ、上げた。少し考えて、肯定の合図だったと理解する。
「……悪いけど俺、薬やら何やらの細かいことはわからないんだ。俺にできること、何かあるか?」
エーファはゆっくりと右方向に目線を動かして、かすかに唇を動かした。
彼女の右手には壁を挟んでリビングがある。ごくゆっくりのメッセージは、ついていてあげて、と読み取れた。
「……わかった、ちゃんと側にいるよ。それ以外は?」
エーファは一度瞬きをして、時間をかけて笑顔を作る。
「……ないのか?」
また目線が一度下がって、上がった。
「……わかった、ごめんな。エーミールのことは任せといてくれ、絶対一人になんかさせない」
もう一度、目線が頷く。
それを最後にヤンはエーファの部屋を後にして、エーミールの寝ている長椅子の下に、寄りかかって座った。力の抜けているエーミールの手を、やはり起こさないようにそっと両手で包み込む。
自分が自由に外に出られたなら、医者を呼べたなら違うのだろうか、と思ってみて、エーミールがまだそれを試していない可能性はほとんどないな、と思い直す。アントンを呼んでいた覚えはないが相談はしているだろう。恐らく、その上での今朝の無茶だ。
(……ということはつまり、『代わりの薬は調達できなかった』で決まり、ってことか……)
エーミールの焦燥の理由に思い至り、眉を寄せる。しばらく元気だった母親が目の前で体調を崩していくのも、それに対して何もできないのもつらいことだ。こうして実際に現場にいてみると、こんな時に泣くどころではないことが身にしみてわかってしまった。
何か他に効く薬や治療はないのか、と思ったが、そもそも何の薬を飲んでいたのかきちんとは知らなかった。エーミールが煎じる前の薬が、植物を乾燥させて砕いた粉末のようだったことしかわからない。もちろん薬にどういう異状があったのかもわからなかった。エーファに聞ければよかったが、あの状態ではどのみちあまりややこしい話はできなかったことだろう。
「……ん……」
考え込んでいると、不意にすぐ横で声が聞こえてびくっとした。エーミールの目が薄く開き、ヤンを捉えてはっと見開かれる。
「……あれっ、僕寝ちゃってた!? えっ、今何時!?」
慌てて飛び起きようとするのを見て、努めて落ち着いた声で語りかける。
「ああ、教会から帰ってきて寝てたみたいだな。何かちょっと心配だったんで横についてた」
「えっ、あっ、ありがとう? あっ、うわっ、洗濯物洗濯物。まだ午前中だよね?」
「……たまにはサボってもいいだろ、お前、疲れてたみたいだし」
エーミールが動いた拍子に離れていた手を、もう一度捕まえた。
「無理してんの見るとこっちがキツい。お前はここで寝てろよ、こっちはずっとお前のやること見てるんだから、いい加減料理も掃除もまあまあできるぞ?」
「……」
エーミールは驚いたような顔をしたが、やがて長椅子の上で姿勢を崩し、横になった。
「そう……それじゃ、少しお願いしてもいいかな」
「おう、任せとけ」
笑って頷くとエーミールは、困ったように笑い返してきた。
「……何だかヤン、頼もしくなったね?」
──自分があの島の記憶に圧倒されたとき、エーミールが言っていたことを思い返す。
何かひどいことが起こったとき、その場にもう危険がないのなら、無理をしてそのことを考えてはいけない。
とにかく最初に受けた衝撃をやり過ごして。傷を閉じて。
すべてはきちんと立ち上がれるようになってから。
眠れるのならそれでもいいし、眠れないのなら手を動かしていてもいい。
どんなやりかたでもいいから。
準備ができるまでは、戦える力が戻るまでは、じっとしているべきだ。
……そしてもしそのとき一人でないのなら、傷を庇って立ってくれる者がいるならなおのこと、焦ってすぐに立ち上がらなくても大丈夫なのだ、と。
エーミールが有形無形にずっと自分に伝えてきたことを、今、返していこうと思った。