avenge

7-9.


 空腹も疲労も忘れて高く高く上がり、来たときに見えていた景色を逆に辿ってエーミールのいる町まで戻ったときには、既に夜明け近くになっていた。
 ベランダから入って即座に、違和感に気づく。空気が冷たすぎた。近頃夜は冷えるので、暖炉に火を入れていたはずだ。そうしていれば何とか維持されているはずの室温が保たれていない。普通は触れないよう囲いがつけられている暖炉からの配管にも、何の熱も感じなかった。
 ……胸騒ぎ、どころの話ではなくほぼ確信に近かった。
 幸い、家の中に人の気配はないようだ。それでも足音を立てないように注意しながら階段を降り、左右を確認してからエーファの部屋に向かう。
 部屋のドアは閉まっていた。中から何の音もしなかった。開ける決意をするのに少し時間を要した。
 ようやく息を整えて、ドアノブを下げる。
 ……最初に見えたのはベッドの傍らに座り込んだエーミールの足と背中。それから彼が頭を預けるベッド。繋がれた母子の手。
 エーファは安らかに目を閉じていて、その胸は微動だにしなかった。
「──」
 最悪の可能性を思い浮かべてしまいながら、そっと室内に入り、エーミールの肩に手をかける。その身体は部屋と同様に冷え切っていたが、まだ確かな体温があった。近づけば緩やかに呼吸をしているのもわかった。
「……エーミール、エーミール、しっかりしろ」
 気が焦って少し大きく肩を揺さぶる。
「……ああ……」
 肺から空気が押し出されただけ、のようにも思えたが、声がした。これ以上揺するのに気が引けてきて、小さく肩を叩きながら呼びかける。
「エーミール、起きてくれ」
「……。ヤン?」
 しばししてぽつりと呟いた彼は、ひどく緩慢な仕草で振り返った。泣いたあとのある目が、ヤンの顔にゆるく焦点を結ぶ。眉を寄せ、悲しみを堪えながら、ヤンは謝罪した。
「……ごめんな。間に合わなかったな」
「……」
 エーミールは答えず、ぼんやりと周囲を見て、やがてエーファの顔に目を留めた。
「……ああ」
 重いため息。
「……連れて行って、くれなかったんだね」
 結ばれた唇が徐々に、笑みのような歪な形を作った。
「……これが、僕の、現実か」